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2017/4/12

 2017/4/12に考えていたこと。

 

 

 自分探しの旅っていまでもインドに行ったりするのかな、なんて考えてたら今日もまた一日が過ぎてしまいました。残念ながらぼくの周囲には心身を喪失する人間はいても、若さに任せて本当の自分を探し出すような人間はいなかったため現行の自分探し事情には明るくありません。そんなわけで脳内を自分探しで検索かけたら雑にインドとかいう言葉が浮かんだんですが、そうなると日本から自分探しとなると飛行機に乗らなくちゃいけないんだろうかと経済的時間的余裕に恵まれた人間にしか見つけられない自分というものに首をひねってしまいます。貧乏暇なしとか貧すれば鈍するとか言いますけど、金がない人間は自分探しも近所の公園で氷結片手とかになりそうですね。それはそれで紛うことなき自分の姿のような気もしますが。

 

 そう考えてみると、ぼくが普段見ているものが偏っているにしても、映画にしろなんにしろ自分探しの旅というものは何らかの乗り物と切り離せないものですね。バイクだったり車だったり飛行機だったり、ヒッチハイクを手段にしたり。冷静になって考えてみると徒歩で自分探しって思い浮かびません。なんたって成人男性が徒歩で移動したらアベレージでは時速5kmぐらいですからね。時速5kmで追いつけるような自分に用はないし、その程度ならわざわざ旅に出る必要ないんじゃないかみたいな気がしませんか? 近所の商店街でコロッケとか買ってたら「あっ」「おっ、おう」みたいになりそうですよね。
 8年前の中学生のあの日世界と衝突したときに別れてしまった自分(以下点Pとする)が時速5kmで移動したときすっかり変わってしまった今のぼくとの距離はどれぐらいだろうなんて小学校の問題みたいになっちゃったりして。まあ目的の自分が徒歩の場合ならこれで済みますけどね。飛行機でどっか行っちゃう自分っていうのも結構困ります。やっぱりインドとか行っちゃったりして、点Pが15:45分発羽田発デリー行き直行便に乗ったとき到着時刻に日本を出発した自分が追いつく時間を求めよ。ただし目的地はガンジス川とし、点Pは目的地で待ち受けるものとする。とかまたしても小学校の問題みたいになっちゃったりなんかしたりして。

 

 とはいえ小学生の問題みたいだったかはどうかとして、ジョン・レノンなんかはインドに行って自分とか見つけちゃったみたいですね。いわゆるプライマルスクリーム療法を受けて過去のトラウマを吐きだして大声で泣きわめき、根源的な自分というものを呼び起こしたりしてしまったようです。ほかに思いつくあたりだと同じロックミュージシャンの小山田壮平とかもかなりの衝撃(どうせ大麻だろうと睨んでいます)を受けたりとか。そういえば小説家の遠藤周作とかもそんな小説書いてましたね。残念ながらというかぼくはそこまで強いカルチャーショック体験みたいなのには出会ったことがなくて、自分を見つけたと思ったことがあるとすればパニック障害で震えながら心療内科の床をじっと眺めていた時とかなんですが、そういうのもまたひとつの自己発見のような気がします。みんながみんなインドで自分を見つけられるって決まっているなら、旅行会社のひとたちなんか困らなくて良いでしょうね。若いうちに行こう自分探しインドの旅3泊4日、万一自分を見つけられなかった時のガンジャ保険付き。