Arcade Fire - Everything Now

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 カナダのロックバンドArcade Fireの5枚目はDaft PunkPortisheadをプロデューサーに迎え、80年代的なディスコサウンドを前面に押し出したダンスアルバム。

 


 全13曲47分のアルバムは『Everything_Now (Continued)』という同じタイトル(冒頭のトラックにはアンダーバー付き)が始まりと終わりに配置され、曲間を殆ど意識させないようSEや曲展開で自然に次の曲へ繋がるよう制作されている。こういったアルバムを制作する手腕は流石コンセプトアルバムの名手であるArcade Fireといったところだろうか。

 単独で曲を見てもリードトラックで全面的に押し出されていたディスコ的なシンセだけでなく、レゲエやダブ(#6 Chemistry)、力強いダンスパンク(#7 Infinite Content)が並び、前作からの流れを感じられる点はArcade Fireが3rdまでを第1期として次のステージに進んでいることを感じさせる。

 

 しかしこれらの要素を鑑みてもなおアルバム全体を流れる軽薄なディスコのリズム、サウンドが鼻につく。

 

 実際にこうして本作を聴いたうえで彼らがいま置かれている状況を思えば、こういった体裁のアルバムを作る必然性というものもなんとなく見えてくる。アルバム全体を流れる閉塞感はメンバーがインタビューで語った通りだ。

「この先何が起こるのかさっぱり見当がつかない。今の状況に対する方法すらわからなくて、こんがらがった時代に当惑している」

 そういった現代の状況を歌詞にあてはめ、永遠に続く消費と無計画な世界を楽し気なディスコに乗せて歌う皮肉。そしてアルバム自体もまた円環構造をもって我々は永遠に踊り続ける。それ自体はまったく問題がないし、表現としてアリだと思う。だが、音楽は歌のためだけのものではない。彼らの状況と戸惑いばかりが先行して肝心のサウンドは空虚だ。

 リードトラックのABBAのようなシンセリフによく表れているようにかつての時代にあったものの単なる焼き直し、薄っぺらいパロディでしかない。それもコンセプトだと言われればそうかもしれないが、コンセプトのために音楽自体が空虚になることが許されるわけはない。Arcade Fireは最も侮辱的な方法でディスコを愚弄したとぼくは感じる。

 

 Neon Bibleで、The Suburbsで、彼らは常に前を向いて進み続けていた。アメリカには住みたくない! と高らかに宣言し、期待が裏切られてももう一度やり直す決意を見せた。今作にそういった姿がまったく見えないとは言わないが、そのすべてはアルバム自体が持つコンセプトによって台無しになってしまう。いつも振り出しに戻され、結局何も変わらないと我々に突き付けてくる。

 

 このアルバムを聴いているとどうしようもないほど深刻に気分が落ち込む。

 


Arcade Fire - Peter Pan (Audio)

 ベストトラックは#5 Peter Pan。篭ったシンセベースとオリエンタル要素の香るメロディを彼らの最大の持ち味であるニューウェーヴで見事にまとめ上げた。夢うつつのなか「俺のウェンディになってくれ」と繰り返し、時折正気に戻って/目を覚ましては自分たちに何の計画もなくそして心が病んでいくのを感じている。このアルバムを最も端的にあらわした曲だろう。